読み物
最終更新日:2020年1月31日
絵・写真・文:いろや商店の編集室
れんさいプロジェクト:いろやのこと
こどもが生まれて変わった生活、男たるもの24時間仕事が主役?のフリーランス時代
こんにちは。いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ここ「いろやのこと」では、まったりマイペースにいろやのあらゆる側面のおはなしをお伝えしています。
前回まではこどもが生まれる前後を中心に書きました。
はじめての赤ちゃん、はじめての出産・子育て・出産準備とわからないことだらけの中で過ごした数日間を書いてます。
今回はそのさらに前と後。こどもが生まれる前の店長の暮らしと、こどもが生まれた後の店長の暮らしをそれぞれ書いて行くことで、自分の中に起こった変化を見つめ返す良い機会になると思って書くことにしました。
会社から独立をしてフリーランスとして「仕事が主役」でビジネスの最前線(?)で戦うことを生きがいとしていた店長が、どのような経験を経て「こどもが主役」で、毎日息子と遊ぶ日々をおくるに至ったのかを少し赤裸々に?お届けいたします。男(パパ)目線でのこどもが生まれる前と後の変化についても少し知ることができると思いますので、何かしら・誰かしらの参考になれば幸いです。

いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ご覧いただきましてありがとうございます。
育児・子育て苦手な店長が、こどもが主役で書いてますのでゆっくりご覧くださいませ〜。

会社員からフリーランスとして独立した20代
こどもが生まれたことで、それ以前の自分を思い返すことも多くなりました。
息子が生まれたのは、今からちょうど10年ほど前の店長が30歳頃です。フリーランスとして独立したのは、そこからさらに5年ほど前になります。今回はその頃20代にさかのぼりたいと思います。
フリーランスとして独立する以前は、神奈川県のとあるWeb制作会社に勤務しているサラリーマンでした。主に、大手クライアントのWebサイト制作・システム開発を中心に行なっていて、時代は『Flash』という今では使われなくなったWeb技術が流行りだした頃です。(耳にしたことがある人もいるでしょうか?)Flashの技術をある程度独学で扱えた私は、運良く地方から首都圏へ移住することに成功しました。
夜行バスの後部座席に乗って、青森から東京へ向けて深夜走ってきた日のことは今でも覚えています。到着して電車に乗り換え、渋谷に着いたときは大変な暑さで、いきなり大都会の洗礼を受けたような気がしました。右も左も分からない田舎者でしたので、首都圏での生活に戸惑いながらも、月日の流れと共になんとなくやりくりできるようになります。
この頃のことは、【孤育て】地方出身夫婦による孤立した子育てになるとは思わなかった東京への上京物語で詳しく触れてます。
転職が決まっての上京ということで、神奈川への引っ越しと同時に会社員としての生活がスタートです。
会社員時代は、入社してから常に忙しく、地方都市ではなんとでもなっていた私ですが、こちらに来てからは、私自身の技量不足を日に日に実感するに至ります。(そのためにこちらに来たというのもあったのですけれども)それでも、四六時中Webに携わる環境にいると慣れるもので、仕事に一生懸命向き合っていればスキルは身についていきました。帰宅時間は日に日に遅くなり、20時・21時・22時・23時・0時・1時・2時・3時・徹夜と、時計が深夜を指すことにもなれ、連日終電もしくはタクシーでの帰宅となりました。途中からは終電で帰るのさえ早いと思うようになります。夜中の2時・3時に帰宅しては、朝定時(9:30)に出社です。(遅刻扱いとなるため)若さもあってか、体力的には徹夜も気にならなかったのですが、家にいる時間が毎日4〜6時間ということで、ほとんど家にいないようなものでした。
入社しばらくの週末は少しお休みできましたが、途中からは週末も無くなってきました。大手・都内の有名クリエイターはもっと昼夜問わず大変なんだとはっぱをかけられ、技量の無い私はただ頑張ることしかないものなんだと思い、日々与えられる仕事に全力だったことを覚えています。(有名クリエイターになりたいとはちっとも思った事は無いですけど)
その頃奥さんは、知り合いが誰もいない慣れない土地で、朝から夜までひとり家にいることが多かったので、とても辛い思いをさせてしまったと今でも反省しています。
近隣の街に出歩いては、少ない生活費の中から家の物を揃えてくれますが、ほとんど家にいない私なので、一緒に家でそれらを楽しむ時間はまったくありませんでした。その頃奥さんは、家の近くにあった保育園へお手伝いでバイトをするなどしていました。手取りで20万円くらいの給与だった私にとって家計の助けにもなり、少しずつ地域の人と知り合うことができました。
私はというと目の前にある締め切り・増える仕事量と、解決しなくてはいけない対応に奔走し、関わるプロジェクトも日々大型化していきました。仕事の頑張りに比例して残業代としての給与は増えて行きますが、仕事に明け暮れる日々で、家にいればいつも寝ているというそんな状態でした。残業代が入ってようやく25万を超えるくらいの手取りになりました。
青森で働いていた頃は、手取りは10万円前後でした。その頃に比べると、単純に手取りの多さが嬉しかったのを覚えていて、でも逆にそれがフリーランスになるブレーキにもなっていました。
給与の額面だけ見れば増えているので、良い暮らしになっているように見えて、日々の暮らしは荒んでいきます。なんだかいい方向にいってませんが、迫り来る仕事の日々でそういうことを考える力すらありませんでした。でも、これだけ家にいないことは経験がなかったので、大きく何かを変える必要があると薄々感じてもいました。
その頃、自分よりも若い会社のスタッフ(バイト)が少しだけ増えました。
時間が経てば、技術も移り変わります。入社当時は少なかったFlashを扱える人も少しずつ世の中に増えはじめ、情報も少しずつ出てくるようになりました。私自身も、制作からもう少しステップアップしてクライアントとお話をしたり、企画に関わることをしたいと思いはじめます。社内でのアイデア会議はとても楽しく、いつも選ばれることはないのですが、自分なりの考え方でアプローチすることにしてました。わかってはいましたが、社内では常に捨て案で、クライアントに提示されることはありません。
会社に求められていること、周りとの物事を捉える角度の違いから、なんとなく会社(Webチーム)の思い描いている方向性に合っていないんだろうなと感じ始めます。
でも、生活を考えると会社を辞めるという決断をすることはとても難しいことでした。
学歴も全く無いですし、地方に帰らなければいけないということもよぎります。せっかくでて来たのに、また地元に帰ることだけは避けたい。奥さんのことも考えると、日々の生活費が止まることも避けなければいけない。という悩む日々でした。そして何より、私自身の腰の重さがそうさせていたことも覚えています。
でも、この時にきっかけが起こりました。『年俸制の導入』です。給与面で大きな改定があり、天から与えられたタイミングなのでは無いか?と勝手考えて、退職を伝えました。この後どうするのかと何度も聞かれますが「独立してフリーランスになろうと思います」というと、心配に思ってもらっていたと思いたいでが…。失笑されます。
この頃、会社の誰しもが「フリーランスになる」ということは、大変なことで成功者がするものだということで、私みたいな中途半端者がうまくいかないだろうと上司にも言われてましたし、誰にも相手にされなかったことを今でも覚えてます。会社の中では誰よりも評価は低かったですし、最終的に雑務的な作業ばかりが振られるようになってましたので、信頼すらされていないとも感じてました。
会社では評価がとても低かったので、独立をするときは不安しかありませんでしたが、唯一、何も業界のことなど知らない能天気な奥さんは、青森にいる頃から家でパソコンをしている姿を横から見ていて、私に何かしらのスキルがあると勘違いをしているようで、やれば大丈夫だから早く会社を辞めて来なさいとだけ言われてました。帰れば、今日は伝えて来たのかと言われます。(本人はパソコンを全く扱えないので説得力0だけど!)
踏ん切りがつかない私は、奥さんに言われながらも半年ほど半信半疑で会社へ行ってはいるのですが、電車で寝ていて駅を乗り過ごしてしまうことも、体調を崩すことも多くなっていたので、体が何かを訴えていたのかもしれません。(今でいう鬱気味だったのかもしれないです)チャンスは今しかないのではないか?と、自問自答を繰り返す日々の中、意を決して退社しました。
そのようなわけで、来月以降どうやって生活していこうかという課題を抱えたまま、すぐフリーランスとして独立するという道を踏むことになります。
正直なところ自身があったわけでもありません、奥さんに反対されていれば独立していなかったかもしれないですし、会社員として過ごす中で家族がうまく行っていれば、フリーランスになるという選択肢を考えていなかったかもしれません。なので、わたしの中での独立は、フリーランスとして輝かしく活躍し、自分の実力を世に出したいという野心的なモチベーションではなく、日々の暮らしの中で仕事とどのように向き合うかということから発生した形でした。
フリーランスとして独立した後の暮らし
さて「会社退職します、フリーランスとして独立します」とは言ったものの、お恥ずかしながら会社へ伝えた時はまったく仕事のあてはありません。
でも会社へ伝えてから、退職日までは引き継ぎが必要だからということで、1ヶ月ほどあることに気づきました。営業するにしろ自分のWebサイトは必要だなと….。そこで、会社のしがらみもないので、初めて好きなように自分のWebサイトを作りました。仕事以外で長い期間、Webサイトを作る気力すらなくなってました。ちなみに、『うまくいかなかったら、東京なら仕事に困ることはないだろうし、体力はあるからティッシュ配りのバイトでもすれば暮らせるね。』という、奥さんの協力があったのは何よりも支えになりましたが、それはなんとしてでも避けたいと考えて頑張りました。
そして「自分に嘘をついて出す答えは必ず失敗に終わる」ということを繰り返すことで気づくことになります….。
なんだかんだで1週間ほどでサイトは立ち上がります。上司のチェックもチームのディスカッションも、必要ないですし、社長のチェックもいりません。いつもある大幅な戻しもないので、自分が納得すれば公開できます。Webサイトを公開するのはこんなに簡単なことなのか!とこの時、強く実感しました。Webサイトって何のため・誰のためにあるのだろうか?この時気になったことは今にも続きます。
ということで、公開してその頃あまり多くはなかったフリーランスが登録するようなWebサイト数カ所にサクッと登録を済ませました。
サイトも立ち上がったし、営業の準備をしようかなと…。
でも、会社の仕事も退職に向けて忙しかったので、サイトを立ち上げてから数日経過、会社を辞めた後の営業活動に何も手を打てません。退職ギリギリまで徹夜していた気が…。そうしている間に、なんだか分かりませんがポツポツとWebサイトからお問い合わせがくるようになりました。代理店の方、小さなWeb会社など声をかけてくださる方があらわれました。この頃のご縁は、法人化をしその後の流れに乗って、途切れる縁(失敗談)となるのですが、それはまた別の機会に書きます。
週末だけでも会社に行かないようにと頑張ってましたので、使える時間は週末の数時間でした。そこに全ての打ち合わせの日程を詰め込んで、平日は会社員として会社で引き継ぎの仕事をするという日々を繰り返します。打ち合わせ時は、それらのこと含めて、今はまだ会社に勤めている状況を全ての人に毎回説明しました。
会社ではWebデザイナーという役職がついて名刺があり勤務していましたが、「Webクリエイター」がいいんじゃないか?など肩書きについて話し合いになった気がしますが、正直なところなんでもよくて私としては「**社のWeb雑用係」がそのままでいいんじゃないかと思ってたくらいです。社内のめんどくさい更新作業などが最終的に振られる役です。
その頃自宅では、表現の幅を広げるため、システム開発の勉強もしてたので、会社の人は誰も知りませんが、企画からデザイン・システム開発とオールマイティーにカバーができるようになっていました。一人で大規模サイトを立ち上げ、運用できるという人材は希少だったので、大手から小中規模まで、ありがたいことに瞬く間に相談で埋まりました。
目の前のご依頼いただく仕事をひとつひとつ、会社員の頃と同じように全力で向き合いました。会社員の頃と違ったのは、自分の作ったサイトが海外や国内で色々取り上げられていて、いつしか雑誌に載っていたり、よくわからないところでどんどん広がっていたところです。
そんなわけで、会社の退社日に会社の人からは失笑を受けながら退社をするに至ったのですが、その頃すでに会社でもらっていた給与の半年以上分の金額契約の納期もあって、すぐに取り掛かる必要もあり、はやく家に帰りたい一心だったのを覚えています。同じWebの仕事をしているのに、なんだか不思議なものだなと…そう思ってました。
そのようなわけで、会社を退社した翌日からようやく全ての時間をフリーランスとして使えるようになります。
フリーランスとなり、会社員時代は全てボツとなっていて、使われなかった感性を使いたいと言ってくれる人がたくさんいるという事は何よりも嬉しいことでした。そして、とりあえずしばらくは生活に困らないだろうなと…これは少し安心でした。
仕事中毒(ワーカーホリック)な毎日
そんなわけで、フリーランスとなりましたが、会社に勤めていた頃と違った意味で、とても忙しくなります。
退社翌日からスケジュールは埋まっていたので、翌日からすぐに打ち合わせ。今までは、会社へ行って机に座っていれば上司から必要データが届き、机の横の棚にある素材集から写真を集め、椅子の上でWebサイトが出来上がりましたが、今度は違います。現場へ行ってカメラマンと撮影、Webサイトを使う方々とご挨拶、予算からサイト規模まで様々なアドバイスをしながらサイト方針の話し合い。今まで知っていたWeb制作とまったく違いましたが、そうそう、この感じ。と、ようやくやりたかった仕事にたどり着いた気がしました。
いつしか、会社で勤めていた時の数倍規模のプロジェクトを一人で動かすに至ります。大きいものは大手書店のサイト・国立大学から、大手メーカー、通信会社まで。小さいところは旅館、ベンチャー、アパレルブランドと幅広く多方面から相談があり、寝る暇もなく仕事に明け暮れました。(隙間時間を見つけては寝ていましたが…。)常に数十のプロジェクトが動き、家にいるんだけれどパソコンの前からなかなか離れられません。どんどん迫る納期と、四方八方から飛び込んでくる相談に、ご飯中でもメールの音が聞こえると、飛んでいって確認・返信。確かに会社という大きな枠からは出て、家にいる時間は増えたんだけど、家に場所がうつったことで仕事をする時間はより一層増えることになります。
でもこの頃は、今の状況を客観的に見て動くということはできず、日々の仕事も楽しかったので、連日連夜仕事に明け暮れました。
この頃は、まさに「仕事が主役(仕事中毒・ワーカーホリック)」でした。
当初描いていた会社員を辞めて家での過ごす時間を増やすという意味が、フリーランスとして家で仕事をする時間が増えるという、暮らし全体のバランスは結果的にあまり変わらない状況になります。そこで再び、会社に勤めていた頃と同じような、何かを変えなければいけないという壁にぶつかることになります。ここで考えついたのが、住む場所を変えることでした。
今まで、渋谷へ一本の田園都市線の『梶が谷駅』という所に住んでいたのを一気に変え、千葉方面『市川大野駅』へ引っ越すことにしたのです。そしてそれにあわせて、仕事量も制限しはじめます。仕事内容も少しずつ様変わりして来ました。納期の厳しい仕事は少しずつ減り、納期が比較的穏やかな仕事が中心となっていきました。
それでもまだ、思い描いているような暮らしの形にはなって来ていませんでした。
この頃引っ越した先は駅からも近く、2人で住むには少し大きい、庭付きの一戸建てでした。ここで少しゆっくり暮らそうと思って住んだんだけれども、住む場所を変えたからといって、うまくいかないのが人生の面白いところですね….。都内からの距離が離れたことにより、パソコンに向かう時間が移動へと変わり、電話・メールの頻度が増え忙しさはやっぱりあまり変わりませんでした。逆に離れてしまったことで非効率になってしまいました。
これは、茨城県のつくば市に引っ越した後ではさらに形となってあらわれます。
結果的に今は都内で過ごしています。
仕事大好き!『こども』は全く考えていなかった
それでも、引っ越しをして仕事量を減らすことで少しばかり変化が起こりはじめました。
以前住んでいた場所と違って、近くには八百屋・おじいちゃんが作る小さいパン屋(引っ越すタイミングで閉じられました)などもあったので、そこへ2人で毎日の食材を買いに行ったりするようになります。少しずつだけど、仕事以外の時間も増えはじめてきました。
そしてきっとこれは、タイミング。人生の転機が訪れます。かれこれ独立してから5年ほど経過。
奥さんが妊娠したのです。
奥さんの妊娠は、生活を強制的に変えるための大きなきっかけとなりました。
自力で新しい世界を開いていける人もいると思いますが、私はあまり得意ではなくて、どちらかというと他力本願。上にも書いたように会社を辞めることですら、とても時間がかかりました。そんなわけで、他からの力によって何事もしびれを切らしたかのように開いていくということが多いんですが、奥さんの妊娠からはじまった大きな状況変化は、今まで出来ていたことができなくなる。という、強制的に私に訪れた環境変化でした。でもこの新しい環境変化は、私にとって密かに願っていたことだったのかもしれません。
このタイミングで、自分に起こる変化を消化することができず、自分自身を変えられない人もたくさんいると思います。逆にこの変化がきっかけで大きく生活を変えられる人もいると思います。それがプラスになるのか、マイナスになるのかはその環境変化を自身がどう捉えるかにもよるけれども…。
私の場合は、今回訪れた環境変化をチャンスと捉えました。そしてこの環境変化に順応し、少しでも「仕事が主役」からの脱却が、きっと私自身の人生にとって大きな意味をなすと感じていたのです。
実は、こどもとの暮らし(お父さんになる)というのは、若い頃から一度も想像することのできない現実でした。そしてどこか他人事で、自分には起こりえないことと勝手に思い込んでいました。でも目の前に起こった現実は、こどもがいる暮らしです。人生どのようになるかわからないですね、でもきっとそれぞれには意味があって繋がっているんだと感じています。
ここからこどもが生まれるまでのお話は「【出産前 編】初パパ店長の子育て。はじめて赤ちゃんが家にやってくる。」のページでご覧いただけます。
そしてせっかく良くなりかけた暮らしへの変化は、「子育てパパの起業。まさに苦労をお金で買った30代は失敗と挫折の日々」でも書いている通り、法人化でまた大きくガラリと変わることになります。
ちなみに今は「こどもが主役」です。