読み物
最終更新日:2020年4月26日
絵・写真・文:いろや商店の編集室
れんさいプロジェクト:いろやのこと
【孤育て】地方出身夫婦による孤立した子育てになるとは思わなかった東京への上京物語
こんにちは。いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ここ「いろやのこと」では、まったりマイペースにいろやのあらゆる側面のおはなしをお伝えしています。
今回は、孤立化した子育てになる要因ともなった一つの出来事。『上京』について書いてみることにしました。良いこともあれば、悪いこともある。上京した結果すべてが良きに働いたわけではありませんでした。そんな店長のリアルなところを上京した頃にさかのぼりつつ、子育ての話題にも触れながら書いています。
上京を考え・実現した頃は、店長自身の夢と希望・野望に満ち溢れていました。実際にそれらを叶えることにはなりましたが、そこからこどもが生まれたことで大きく人生は変わります。子育ては店長にとってひとつの試練でもあり、新しい人生のスタートにもなりました。店長にとってはとてもポジティブな人生の転機ではあったのですが、孤立化した子育てはほんとうに大変でした。
夫婦お互い地方に実家があり、首都圏で子育てをしている人は意外に多いと思います。きっと、店長に起こった暮らしの変化も店長だけではなくて他の夫婦にも起こっているんじゃないかと感じています。
そういったことから、誰かの役に立つのではないかと思って書いてみることにしました。
いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ご覧いただきましてありがとうございます。
育児・子育て苦手な店長が、こどもが主役で書いてますのでゆっくりご覧くださいませ〜。
孤育てに繋がる、青森(地方)での暮らしから上京までの流れ
店長は、青森県青森市で生まれ、育ちました。
高校卒業後は、専門学校へ行くために宮城県仙台市で一人暮らしをしますが、その後は再び青森(実家)へ一旦戻ります。(ということで、学歴としては専門学校卒業が最終学歴です。)
専門学校生の頃は、就職ということに対して漠然とした考え方しかありませんでした。その頃出会ったインターネットをとことんやりたい。でもどこで、どのようにパソコン技術を生かすか?どのように進路を描くのか、私の中でまったく描くことができませんでした。今に思えば、そのころインターネットを使った就職先というハッキリとした進路自体が、専門学校・先生方にも見えていなかったのかもしれないな…と今更ながら感じてもいます。
先を見据えた行動ということがわかっていたなら、もっと違う進路を描けたかもしれません。それは今になってわかることです。
手元に届いた数々の就職先。大手の広告代理店から、一般的な企業と、声がかかったりと名だたる企業が就職先に並んでいる中で、自分の持っているスキルの生かし方が見えないまま、就職先を決め切ることができず、卒業の時期が訪れ、実家の青森へ戻る選択をします。その結果まっすぐ東京へ行かず、一旦実家へ戻り、その後上京するという遠回りをすることになります。
実家に戻った後も、インターネットを使っての生活は続きました。
テレホーダイという深夜にだけネット料金が定額になるというサービスが当時はとても話題で、その時間必ずインターネットをしているという、いわゆる今でいう『ひきこもり』の状態でした。
海外の人たちとネットを通じて様々な情報交換をして、Webに関する技術を日々学んでいましたが、役立てる術を見出せずにいました。このまま、家にいても良くないなぁと、ついに社会復帰!を試みます。社会復帰と言う名の、就職活動です。ハローワークへ行き、仕事を探すのですが、1つの仕事に数十人と群がる状態。ハローワークでも席が空くまで長蛇の列だったのを覚えています。
その後、パソコンスキルをかわれて公共事業に関する印刷会社へ社会復帰を果たした店長ですが、Webの技術を使う場面が訪れることはなかなかありませんでした。(家の中で趣味のようにいろいろなプログラムを作る日々です。)最終的に、パソコンスクールの講師として、様々なスキル面での先生をします。(イラストレーターやフォトショップ、Webに関わるものなど、あらゆる範囲のことを教えてました。)そんな日々の中、教えるよりやっぱり自分で何かを作り上げることの方が楽しく、このまま講師としての仕事を続けることの意味を見出せなくなった頃。
日本国内でこの技術を活かすなら、東京に行くしかないのかな?と思うに至りました。そんなわけで、上京を決意します。
上京を決意してから、どんどん物事は進んでいきました。
その頃、たまたまご縁があってECサイトを作らせてもらったのですが、それがとても人気店となり。そこでの頑張り・運営管理を元手に、資金面でも上京の可能性が確かなものとなりました。そこでの実践的な経験は、今になってもとても活きていて、サービスが自分の手でどんどん成長して行くのはとても楽しかったのを覚えています。
結果的に、Webサイトを作るということ以上に、作り・使いこなす。というところに一歩足を踏み入れたのは、ここでの経験が大きいとも感じています。
そして、就活と住まいのを決めるために一時上京。
限られた手持ちの中、『3日間で家と仕事を決める!』という難題をしっかりとクリアーし青森へ戻りました。
青森へ戻ってからは、慌ただしく引っ越しの準備。
資金的に豊かだったわけでもなく、実家からの協力は得られなかったため、できる限り出費は少なくしたいと思い、少ない荷物(着替え程度)で上京することになります。(必要なものは現地調達!)ダンボール1つくらいを送って後は全部処分をして上京しました。
上京の夜、夜行バスから見た月の美しさは、今も忘れることがありません。
※ 改めて、店長のこの頃(青森〜上京)については触れようと思うので、今回は少し端折っています。
孤育てに繋がる、はじめての首都圏暮らし
まずはじめに上京した街は、神奈川県川崎市の高津区(梶が谷駅)でした。
当時たまプラーザにあるWeb制作関連会社に転職が決まった私が値段的な面で探した結果行き着いたのがこの駅・賃貸(古いアパート)でした。
何はともあれ『家賃が安い!』という魅力にとりつかれたので、すぐに部屋を決めました。2DKで6万円くらい!
ダンボール1つ(だったと思います)に、炊飯器だけを持って上京しましたので、到着してすぐに取り掛かったのは、布団の調達(1組3,000円!)と家電製品(中古など)の調達でした。ひとつまたひとつと、ホームセンターや、リサイクルショップに通うなどしながら暮らしを作っていきました。
上京したのはゴールデンウィークを過ぎたあたりです。青森では桜祭りがあり、春の陽気が漂う季節でしたが、関東の5月は初夏の暑さでした。とにかく、暑さに苦しめられたのを覚えています。(今もまだ関東の暑さには慣れません…、でも年々気温上がっているような・・・)
※ 改めて、店長のこの頃については触れようと思うので、今回は少し端折ります。
月日が経つにつれ、会社員としての仕事にも生活にも慣れていきました。
しかしながら仕事に慣れて行くにつれて、家にいる時間がどんどん減っていきます。
都会の会社はどこもそんなものだろうとどこか心に覚悟は決めていましたが、暮らしの時間はどんどん減り、仕事(出社し与えられた業務をこなす)をするために生きているような日々になっていきました。確かに、自分のWebの技術を試す(そして力をつける)ことには成功したけれど、それで失ったものも大きいなと気づきます。正直なところ会社からも必要とされていない程度のスタッフでしたので、そんな時に訪れた、給与制度の改定は私にとって独立をするに大きなきっかけにもなりました。
この後のお話は「こどもが生まれて変わった生活、男たるもの24時間仕事が主役?のフリーランス時代」でお楽しみください。
フリーランスになった私は、住む場所を選ぶことができるようになりました。
ある意味では成功したと言えるのでしょう。収入的にも選択肢の幅が広がり色々と考えるに至ります。結果的に、奥さんの希望も含めて、田舎の方向に移動してみようと千葉県市川市(市川大野駅)に引越しをしました。
そして、一軒家を借りることにします。
この頃は、とくにこどもを持つということなど何も考えていませんでしたが、もしかするとそういったことも何かしら感じて選んだのかもしれません。息子はこの市川で暮らしている時に生まれました。市川生まれ、つくば育ち、東京っ子です。(笑)
この頃のお話は「【出産前 編】初パパ店長の子育て。はじめて赤ちゃんが家にやってくる。」などでお楽しみください。
孤育て!孤立した中での出産
店長の家の息子の出産は、まさに孤立した状態でした。
妊娠後の暮らしから、出産・産後・子育てに至るまで夫婦二人三脚でした。
『夫婦とも地方出身者』ということで、それぞれの両親のサポートを全く受けることもできず、夫婦二人で常に状況の打開をしなければいけません。はじめての子育てに、夫婦二人。まさに今話題となってもいる『孤育て』でした。
孤立した中での出産から育児までは、想像を絶する大変さでした。
24時間、片時もこどもから目が離せません。いつこの苦しい日々が楽になるのか、全くわからないまま、夫婦ともに寝る時間・休む間のない、必死に暮らす日々が続きました。こどもはとっても可愛いけれども、頑張っている時、ふとした時に泣かれたり、思うようにいかなかったりするとやっぱり苦しくなりました。
気持ちの余裕・体力の余裕がないと、普段通りの自分でいられないこともあります。
それは、すべてのパパ・ママに言えること。孤立した中での子育ては、本当に大変です。
そんな時、こどもがおもちゃで遊んでくれると、ちょっとしたおやすみの時間が生まれました。一時的にしろ常にこどもと向き合っていなければいけない時間から解放されるのは精神的にも、肉体的にも助かります。私にとっておもちゃの存在はとても大きなものでした。毎日24時間、こどもと向き合う。思っている以上に大変なことです。
もちろん手作りのおもちゃを作ったり、おもちゃを買わないで暮らすという選択もいいけれど、余裕がない時、自分の時間(休まる時間)を作るためにおもちゃを上手に使うのは店長にとってとても良いことだと感じました。
店長の家ではスマートフォンでの子守はさせないで来ました。
その代わり、手を中心に体を使うことが必要な『おもちゃを使った子守』で頑張りました。
創意工夫をして、自分で遊びをつくりだしながら、親子でのコミュニケーションをしていく。
スマートフォンでは一方通行に情報を受け取る子守になりますが、おもちゃでの子守は立体的な形状のものが目の前で変化しますので、こどもに与える刺激は大きく変わります。それに、親としても休みつつコミュニケーションをとれるということで、とても助かりました。そんなわけで、大変だった子育てをおもちゃで乗り切った店長は、気づいたらおもちゃを扱ったお店をするというところに行き着きました。不思議な縁ですね。
孤育て!孤立した中での子育てのリアルな大変さ
上にも書いたように、店長の家の子育ては孤立を極めました。
そのため、誇って良いのかはなんとも言えませんが、孤立化した中での子育てにはそれなりに自信(?)があります。
店長の家は、それなりに近隣にあらゆるものが揃っていました。
歩いていける距離に小児科があり、スーパーを含め生活全般には困りませんでした。
孤立化した中での子育てで大切になってくるのは『緊急時対応』があります。2人もしくは片方が仕事などで外出していれば、こどもといるのはどちらか一方だけになります。2人での孤立ならいいですが、1人での孤立はもっと困難を極めます。
何か助けが必要な時に助けてもらえる環境をつくっておくのはとても大切なことでした。
検診日以外でも、日々気になって不安になったことにしろ簡単に聞きに行ける、かかりつけの小児科が目の前にあるのは助けになりました。そんなわけで、孤立した中で子育てをして行く上で、さらに孤立しない方法として、生活全般にできる限り困らないような環境下で過ごすことというのは学びました。
また、孤立化した状態は1日だけではありません。
つねに孤立した状態で毎日を過ごしていくことが求められますので、夫婦での協力は絶対欠かせません。
こどもには自分たちしかいないんだと、自分たちのことは二の次で、すべて「こどもが主役」で過ごす覚悟が必要です。甘い考えではなかなかつとまりません。そのくらい2人だけでこどもを育てることは大変なのです。
そのため、地域に『子育ての支援サービス』や、交流の場があった場合、一度は顔を出すことがオススメです。
店長はこどもが大きくなってからこの場に出会いました。自分のこどもが小さい頃に出会っていたなら、もう少しゆとりを持った、全然違った子育てができたのではないかと感じています。夫婦2人に何かあった場合も、誰かが助けてくれる場所(こどものことを知っている場所)を、早めに見つけておくことはとっても大切です。
そこでは、親族以上にこどものことを助けてくれる人に出会うこともできると思います。
今だから笑える孤育て体験記?
店長の家の子育ては、良いことばかりではありませんでした。
正直なところ失敗談(?)ばかりという、そんな日々でした。
例えば、我が家では伝説となった話があります。
わたしが息子を枕にして寝てしまっていたことがありました。起きた時に騒然となり、今となっては笑い話ですが、そのときは必死で何があったのか覚えていません。2人ともギリギリの眠気の中でこどもと一緒にいたのだけは覚えています。
また、フリーランスとして仕事をしていたときは、こどもをあらゆる場所(打ち合わせ・撮影など)に連れて歩きました。
奥さんの体調が悪いと、こどもと2人っきりにしているわけには行きません。そんなときは、こどもを一緒に連れ歩いて仕事をしていたのを覚えています。このときは多くの人に支えられました。
孤育てでもっとも大変なのは、ママが体調不良になった場合です。いつも元気ならいいですが、そういうことばかりではありません。パパがどれくらい頑張れるかによって、孤育ての状況は大きく変わります。
『ちょっとこどもを預けたい。』これが簡単にできないのは、孤育ての大変なところです。
状態や環境に関係なく、常にどちらかが一緒にいなければいけません。
そのようなわけで、『孤育て』の状況にならないとわからないことがたくさんありました。実際にそれらをどう乗り切ったのか?当店の過去の記事で少しだけ触れてます。店長の置かれた環境下を反面教師(?)にして、「こどもが主役」の充実した『孤育てライフ』を送ってもらえると幸いです。