読み物
最終更新日:2022年3月18日
絵・写真・文:いろや商店の編集室
れんさいプロジェクト:いろやのこと
学校教育が崩壊・間違っていたら?こどもに必要な自分で『生きる力』を育むには
こんにちは。いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ここ「いろやのこと」では、まったりマイペースにいろやのあらゆる側面のおはなしをお伝えしています。
今回は、お店を始めるきっかけとなった『教育』について考えたことを思い出したので書いてみることにしました。
店長は小さい時、当たり前のように保育園へ行き、小学校へ通い、中学・高校へと進学しました。大学には行っていませんが、あの頃の学校での学びって大人になってから役に立ったのだろうか?ふと考える時があります。
たまに論争になるときありますよね、学校に行ったほうがいいの?行かないほうがいいの?と。
もう学校は必要ないんじゃない?など、様々な意見がありますよね。それだけ多くの人に学校教育へは意見があり、改善点が多いということだと店長は感じています。
実際のところ学校での課題点は多いです。そして、こどもは将来のために今をとても忙しく過ごしています。将来の不安がこどもを忙しくさせているのか、将来のしたいことが大きくて忙しくしているのかは、それぞれで違います。
こどもを学校に入れておけば、将来安心だと言われていたのはちょっと昔の話です。大学に入れば安心と言われた小さい頃から勉強を重ね大きくなった20年間。たどり着いたら、就職難。こどもに力がなかったのか?進んだ学校が悪かったのか?それとも親の力不足か?長い月日を過ごす幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校・大学の期間。この期間をどのように過ごすかでその後の人生は確実に変わります。
もしこの期間に学んだことがその後の人生で役に立たなかったとしたら、ゾッとしませんか?
店長はゾッとしました。そして、そんな時代になるかもしれないと言われています。
そんな時に必要なことは、自分自身で生きる力をつけることだと考えました。今回は書きながら頭を整理していきます。「赤ちゃん・こどもを育む専門店」を運営するに至った理由の一つです。
いろや商店の店長のおおま(@iroyaonline)です。
ご覧いただきましてありがとうございます。
育児・子育て苦手な店長が、こどもが主役で書いてますのでゆっくりご覧くださいませ〜。
親なら考える、こどもの将来の不安
偏差値の高い優秀と言われる学校へ行っても、理想的な将来を描ける就職先に就け、一生生活に困らない安泰の人生が訪れるかは、分からない時代です。
それでも、偏差値の高い学校に入ればその先の将来は何とかなると多くの人が思っています。偏差値の高い学校へ進学し、大手企業に入れば(公務員になれば)、会社・国がなくなることはない。生活に困ることはないだろうと。店長も息子のいる一人の親として、こどもが将来的に生活に困らないようにと考える気持ちよくわかります。
偏差値の高い学校へ進学することは、親にとっても、こどもの将来像が見えやすく安心です。
また、偏差値の高い学校へ入ると偏差値の高いレベルの仲間に恵まれ、その後の将来は安泰になると考える方もいるでしょう。
親としては少しでもこどもの将来が安全で安泰であってほしいと願うのは店長も息子がいる身として自然だと感じてます。
でも、偏差値の高い学校に入ることがこどもの将来の全てなのでしょうか?
それだと、偏差値の高い学校に入れない子は将来不安を抱えて過ごさなければいけないということでしょうか?
そして、将来を考えた時に学校には行かなきゃ行けないのでしょうか?
学校に行くのをやめてしまった不登校の子はもう人生の先は真っ暗なのでしょうか?
店長はもっとたくさんの選択肢があって良いと考えています。そして、実際に選択肢は山のようにありますし、学生時代の後はいくらでも変えられます。
どのような学校へ行くかよりも、こども自身がどう考えているのか?それこそが一番大切なことです。そこで店長は、こどもの将来を勝手に考えることを辞めました。いくら親が考えても将来のことは分かりません。そして、こどもの将来はこども自身のモノです。親のモノではありません。
いくら親が不安になったところで、どうしようもないことなんだろうなと。そう今は思っています。
そして、親が進学させたいと考えていたとしてもそれは正解でもありません。
親は安心するかもしれませんが、こどもは親のために進学を選択したと考えているかもしれない。親が進学を進めるというのはそういうことでもあります。
こどもが選んだ道なら、どんな方向に行ってもいいのではないか?と店長は考えています。
店長が学生の頃は、高校に進学できなければ人生が終わるものだと考えられていました。そのため高校受験は、今までの人生で一番プレッシャーだったことを覚えてますし、これに受からなければこの先どうしようもない未来が待っていると必死に取り組みました。その頃の今の自分が送る言葉があるとしたら『行かない選択肢もあって、もっと考えるべき』です。
高校に行かない選択肢もあるし、普通校に通わず、専門的な別のことを学ぶチャンスもあった。それら全てに気づかずに目の前の進学に向き合っていました。
ちなみに店長は大学に行っていません。一時期引きこもってひたすらプログラミングをしていた時期があります。そして、自分で一人勉強し独学です。また、まわりの経営者やクライアントをみても個性豊かです。中学校で中退した人もいれば、東大・京大の卒業生、教授など個性豊かです。でも、一つわかったことは学歴よりもその人自身の個性の方が大切だということ。
自分にしかないものを磨き、それがその人の生きる力になります。みんなと同じではなくて良い。これは、多くの人に会うと感じます。
こども自身がいつか見つける好きなこと・やりたいこと・なりたい職業が見つかった時に、それに向かって一生懸命頑張れば、きっと道は開けます。
そのための『生きる力』を支えるのが親としてできることかなと店長は感じました。
そして、それらを早く見つけるきっかけになるようなお店、その時に力になれるお店を目指しているのが当店です。
進学は不要?学校に入ればこどもの将来は安心なのか
冒頭でも触れた通り、幼稚園・保育園から集団生活がスタートし、小学校への入学とともに義務教育がスタート。その後小学校を卒業し、中学校へ進学するこども達がほとんどです。中学校を卒業するとともに義務教育は終わりますが、その後も多くのこども達は、高校へと進学し大学や専門学校へ行きます。
これがごくごく一般的な成人までのルートです。この流れは日本に限らず、世界の多くの国で日本と近い形になっています。幼稚園・保育園からはじまるこの20年がその先の20年になるということで、より良いルートを確保したいと偏差値競争は熾烈です。なんだか、席が決まっている成功ルートの椅子取りゲームのようですね。
ちなみに店長は、上でも触れた通りで大学には行っておらず、専門学校を卒業しましたが、その後一旦引きこもり、バイトをして過ごしました。いまは会社を経営していますが、遠回りばかりです。それは今もそうです。学力はないかもしれませんが、楽しくしたいことをして生きてます。
仕事柄、さまざまな経歴を持った経営者の方にお会いします。東京大学・京都大学などの一流大学を卒業した方もいれば、Fランクと言われる大学を卒業した人、高校を中退した人もいます。教授として活動されている方もいます。でも学歴と会社規模や売上・年収は比例しません。でもみんな楽しそうに過ごしています。みんな口々に言うのは、学生時代ってなんだったんだろう?と言うことです。人には人生のいろんなストーリーがあって面白いです。
そういう人たちとの出会い、口々に出る言葉から、進学って何だろう?と考えるきっかけになりました。
義務教育以降の進学は不要ではないか?
と言われることがあります。
学校へ行かなくても、たくさんの情報に溢れている時代です。インターネットや図書館などにある物を上手に活用すれば、もう学べる時代だと。そういう声もあります。でも実際は、成功ルートと言われる偏差値の高い進学校への椅子取りゲームは激化しています。たくさんの知育玩具に触れさせ、0歳からスタートする幼児教室へも参加。英語をはじめとした語学学校への習い事もどんどん低年齢化しています。生まれて間もない年齢から教育はスタートしていて、生まれたすぐ後から受験を考える人はたくさんいます。
それでも、進学は不要なのでしょうか?
店長は、どちらを選択しても良いと感じています。進学をしないで過ごすのも生き方の一つだし、進学をして集団生活の中で学ぶことも一つの生き方です。でも、それで将来が安心か・将来が決まるかというのは別のお話です。
ハッキリしていることは、それぞれで経験できること・学べることは違ってきます。それも、学びに対しての向き合い方次第です。その時間をどのように過ごすか、そして、その経験をその先の人生に活かすことができるかどうかは本人次第です。
進学しても、進学しなくても、本人に生きていく強い意思があれば将来は安心だと考えていますし、本人が自分の意思でどちらを選ぶかの方が大切です。
一つだけ進学するメリットがあるとすれば、資格などが必要な職種です。この場合はそれが得られる進路を選んだほうが早くスムーズにその仕事に就くことができます。
ちなみに店長の息子は、高校へは行かないと言っています。
幼少時代に必要な学び『生きる力』
生きていくのに必要な力をつけることのできる環境を用意することが、幼少期のこどもを持つ親としてのするべきことだと当店では考えています。
これは人間に限らず、野生動物の世界を見ていれば明らかです。野生動物の世界では生まれた直後から命の危険にさらされます。今日生き抜くことが出来て、明日がやってくるのです。今日生きていくための知識を親や周りの大人から学び、自分自身の力で明日を生き抜かなければいけない過酷な毎日が野生動物の世界です。
でも人間の世界で、生まれた直後から命の危険にさらされることは多くありません。日本に暮らす上では医学も進歩し、生きられる確率はグンと伸びました。天敵に脅かされることもなく、生きるということにおいて危険にさらされることは多くありません。衣食住もあり、安心して幼少時代を過ごすことができるのは、とても素晴らしいことです。
そして今、幼少時代に学ぶべき人にとっての『生きる力』を育むことは、偏差値の高い良い学校へ入れることに変わりました。偏差値の高い良い学校に入れることができれば、それは生きる力をつけることに結びつくと考えられています。でも、ほんとうにそうでしょうか?
試験対策や、ドリルなどの点数対策にたくさんの時間向き合い、良い成績を積み重ね、試験に合格することで、偏差値の高い良い学校へ入ることが出来ます。幼少時代の時間は偏差値の高い良い学校へ入るために費やす時間に変わりました。
自分の好きなことや関心のあることについて学ぶのではなく、試験に合格するための学びが勉強になりました。これが、学問なのだろうか?と…。もしかしてこども達はとてもストレスを抱えながら日々過ごしてるんじゃないだろうか?幼少期からこんなにストレスにさらされて大丈夫なのか?と。
そして、好奇心旺盛な幼少期の進学に結びつかない興味・好奇心はどこへ行ってるのだろうか?と。それが心配にもなりました。
そして遊びについて言えば、たくさんのおもちゃに溢れ、遊びにまつわる道具も情報もたくさんある贅沢な時代です。
テレビをつければ新しいおもちゃのCMが流れ、Youtubeなどを見れば新しいおもちゃでの遊びが流れ、それをみたこどもたちは好奇心を刺激され、欲しくなり、手に入れると没頭します。安心した衣食住を手に入れて過ごす幼少時代、たくさんの娯楽に溺れて過ごすのがこどもにとって大切なことなのだろうか?もしかして、自分の好奇心やしたいこと・やりたいこと・ストレスなどを、ゲームで解消しているのではないか?今触れている物で過ごすことが、将来的な生きる力になるのだろうか?と…。
そう考える中に、このお店を運営する動機がありました。
では、幼少時代に必要なことは何なのか?
これは当店が日々学んでいることの一つで、まだハッキリとした答えは見つかっていません。でも一つわかっていること。それは遥か昔から今もなお大切にされていることがあります。「徳育・食育・体育・知育・才育」は、そのひとつです。そこで当店では、幼少時代に必要な学びは「徳育・食育・体育・知育・才育」にあると考えるようになりました。これらを通してこども自身が生まれ持っている個性を磨き、自分のしたいことを花開かせること。そのための進学であり、学びだと当店では考えています。それが学校に行くことでなければ、無理に進学する必要はないとも考えています。
また、不登校など様々な事情で学校に行かなかったとしても、個性を磨き、自分のしたいこと・やりたいことを見つけることができれば、今は辛くても環境などを変えることで楽しい将来を手に入れることは可能です。基礎学力は何をするにも必要ですが、応用学力はその後自分自身で学び身につけていくことは可能です。
自分自身の学力・知力をどう活かすかは、生きる力につながりますが、一人で生活をして暮らして行くという意味では他にも様々な力が必要です。幼少時代はこれらの総合的な『生きる力』を身につける時期だと当店では考えています。
もし、学校で学んだことが役に立たなかったら
学校は教育の現場です。
教育は、それを受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけたり、人間性を養ったりします。
受ける側がいるとすれば、与える側もいることになります。この与える側である教育の元となる”教え”が誤っていたら。そこで学んだ子は、誤った教育を受けているということになるのではないか?小さな疑問でした。
では、その正解はどこにあるのでしょうか?
この先、学校で学んだことは将来役に立たないのでしょうか?
まず、学校に入ったからといって、将来が決まるわけではありません。義務教育を過ぎれば、学校を辞めること・休むこともできますし、進学しないことも選択出来ます。また、たとえ教育の現場が素晴らしかったとしても、自身の学びたい分野の学校に入らなかったら、役に立たない場合もあります。これもとても辛いことです。
どこにも正解はありません。
でも、役に立たないと思ったその学びが遠い未来で何かとつながり、役にたつ時が来るかもしれません。店長にとって、そう感じたことの一つや二つはあります。人生遠回りばかりです。
そう考えると、学校・進学先での学びを役に立たせられるかは、本人次第ではないかと思いました。
人との出会いやその縁も、進学でしか得られないと考えがちですが、それもまた行動次第で変わります。不思議ですが、進学をしなくてもまた違った人との縁は訪れます。学びに限って言えば、自分自身で学ぶ意欲さえあれば、何歳からでも学ぶことはできます。
なので、学校での学び・学歴が人生の全てではありません。
自身の力で考えて、選んだ道であれば、必ず道は開けます。
そのためには『生きる力』をつけることが何よりも大切だと考えています。
でも、偏差値の高い学校に入ることは将来の保険的な役目にはなるかもしれません。
ただその保険のためだけに、可能性が無限にある幼少時代の時間を費やし過ごすのはあまりにも勿体ないと考えています。たくさん遊びその中から学ぶ。生きる力は遊びの中からでもたくさん学ぶことができます。
『生きる力』を育む親の環境づくり
こどもが小さい時は、親がこどもの育む環境をつくると当店では考えています。これは、野生動物の世界も一緒です。
親次第でこどもの過ごす環境は良くも悪くも大きく変わります。
でも、必ずいつかは自分の人生を歩んでいくために、自分で生きる環境を自身の力で作れるようにならなければいけません。いわゆる自立です。そしてそれは、義務教育の終わりに近づく中学生頃からスタートすると考えてます。
そういうことから当店では、親がこどものために環境をつくるために必要な小学生以下の商品を揃えています。
親が子にするのはそこまで。
親にとってすべきこどもの幼少期に必要なことは、中学生以降に自分で考えて、自分の人生を自分の力で責任を持って選び、進む時に必要な力を育むことだと当店では考えています。
甘やかすことや、全てを与えることではなくて、自分自身で生きる力をつけるようにすることです。
そして、経験の浅いこどもが何かを選択の上で、大変なことや苦しいこと・辛いことがあったら、人生の先輩でもある親が支えサポートするというのが親ができることではないかと考えています。なお当店では、絵本の定期購読として利用する方も多い、選書が人気の定期的におもちゃ・絵本(選書)が届く「いろや商店くらぶ」を提供しています。赤ちゃんの成長・発達に沿った遊び・学びのサポーターとして「絵本選書とおもちゃ・知育玩具の定期便・定期購読『いろや商店くらぶ』」のご利用も検討くださいませ。目標・テーマなどを決めて取り組むなど、通信教育のようなイメージで楽しんでいただくことも可能です。